ホスピタリティの研修を受けたんだ

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div class=”pcnone”>先日会社でホスピタリティの研修を受けたんだよ。ホスピタリティの考え方の詳細が見え始めたので、かなり充実した研修だったんだ。どこまでが社外秘なのか不明確なので、詳細は書けないんだけどポイントだけ上げたいと思うんだ。

主語的と述語的

主語的・述語的って言葉があるんだ。主語的は自分は何をしたいか?で、述語的は相手は何を望んでいるか?なんだ。例えば、「とあるSEの社員満足」ってホームページがあったとして、「従業員満足の考え方を伝えたい」って言うのが主語的なら「従業員満足を向上させる方法を知りたい」とか「社員が元気に仕事のできる会社にしたい」って言うのが述語的って事なんだ。(分り辛い???)

分かりやすい例をあげるとすると、パソコンを開発したとして「高スペックCPU」「メモリ16G」「ディスク4T」とかが主語的で「自分が伝えたい情報」になるんだ。これを述語的に考える場合は、前出のスペックを手に入れた人は何を望むのかを考える必要があるんだ。つまり「Officeソフトもサクサク」とか「MMDもサクサク」(笑)とか「ストレスフリー」とかね。使う人がどんなメリットを受けられるかを表現するのが述語的って事なんだ。

述語的な言葉を使うと、相手の欲求に必要な課題を考える必要がなくなる分、相手にスムーズに受け入れてもらえるメリットがあるんだよ。

分離と非分離

分離と非分離って言葉は、相手とどれだけ分離されているかって事なんだよ。前出の主語的な言葉を使い続けると、結局自分のことしか考えていないって事だから、相手と分離されていってしまうって言うんだ。それに比較して述語的な言葉を使い続けると、相手を基準として考えるので、非分離が促進されるって事なんだ。

なんとなく、アドラーの心理学と似たことを言っていると思って、講師の方に質問してみたんだよ。

講師の方に質問してみた

「アドラーの共同体感覚とホスピタリティの関係性はどうなのか?」って質問してみたんだ。答えは「同じ」って事だったんだ。教育の説明は「ホスピタリティは1対1の関係」って言っていたんだけど(だから他者じゃなくって相手って表現してた…)よくよく話を聞いてみると、「相手は人とは限らない…組織・世界も相手です」って言ってたんだ。以前、書いた記事にも書いたけど、やっぱり「ホスピタリティは共同体感覚を得るための考え方及びテクニック」って事だったんだね。

「述語的」は「貢献感」に近いし「非分離」は「仲間」って読み替えることが出来るもんね。

最後に…講師の人が電車の中吊りを良く見てほしいって言ってたんだよ。そうすると「主語的」「述語的」が見えてくるって。で、帰りの電車の中で試してみたんだ…。そうしたら、意外に「主語的」が多いことに気が付かされるんだよ。