トラウマ(言い訳)を否定してみる

僕もアドラーを勉強するまでは、言い訳肯定派だったんだよ。だって、言い訳って意外に事実だったりするからね。だから、僕が言い訳をしてそれを否定されると悲しい気持ちになってたんだよ。でも、アドラーはトラウマを明確に否定してるんだよ。

何故今の自分があるのか

これは、僕が言い訳を肯定していた理由みたいなモノなんだけど…何故今の自分があるかを考えたら、過去の事象は見逃せないものだと思うんだよ。例えば、僕はクローン病を患ったおかげで人生が豊かになったと思ってるし、人生初めての電話で間違い電話をしなかったら電話嫌いにならなかったと思うんだよ。現在の状態は過去の事象に影響されているって間違いではないと思うんだよ。だから、人は歴史を学んだりするんだと思うんだ。過去の経験を未来に生かすのは健全な事だと思うんだよ。

僕の人生初めての電話の話を例に挙げて話を進めるね。確かに僕は人生初めての電話(5歳くらいかな…)で間違い電話をしたんだよ。電話嫌いなのも事実なんだよ。出来る限り電話に出たくないし、電話を掛けたく無いんだよ。でも、アドラーはこのような状態にあるとき「電話に出たくないから、過去の事象を理由にしている」って言っているんだ。つまり日本語的に表現すると…「過去の事象から言い訳を探してきている」って言えるんだと思うんだよ。ここで言っている「過去の事象」をアドラーはトラウマと言っているんだよ。

未来は不定

では、僕は電話嫌いを克服しようとしているかと言われると、そこまで本気で直そうとはしていないんだよ。まぁ、仕事に影響するほど電話嫌いじゃないからね。でも、これが本当に仕事に影響するほど電話嫌いだとしたらどうなるのかな。ここは「人生初めての電話で間違い電話をしたから、電話に出られないんだ」という状態を想像してみるよ。先ほどアドラーは「電話に出たくないから、過去の事象を理由にしている」って言ってるよね。つまり、「人生初めての電話で間違い電話」と「電話に出られない」に関連性は無いって言っているんだよ。

この「電話に出られない」人は本当にこの「電話嫌い」を治そうとしているのかな?僕が思うに、「治そうとしている素振り」をしていて、本当は「治そうと思っていない」んだと思うんだよ。人は必ずと言っていいほど「変化に不安を覚えて、現状維持に安心を覚える」モノだと思うんだよ。(不安をアドレナリンに変換できる人は別(笑))だから、「治そうと思えない」のは、ごく健全な反応だと思うんだ。

じゃあ、治そうと思って行動を起こして、トラウマが邪魔をしたとするよ。そのトラウマが再現するのって、どのくらいの確率なんだろう。実は答えは簡単で、それは0%なんだよ。何故かと言うと、それぞれの事象は独立していて、別物だからなんだよ。しかも、これから起こりうる事象は、自分で必ず変えられると思うんだよ。つまり、未来は不定で、しかも自分で描けると言えると思うんだよね。

これこそが本当の意味で自由なんだと思うんだよ。

目的に向けて行動を起こす

人は良い事は忘れてしまって、悪い事はいつまでも覚えているんだよ。だから、不満だらけになってしまうんだよね。で、その不満を解消したいと思ったら、「しかたない…」って諦めずに、少しずつでも良いので前に進むことだと思うんだよ。しかも、未来に過去は関係ないと思うんだよ。

アドラーとフロイトは仲違いしたみたいだけど、過去から現在を見る時は「フロイトの決定論」現在から未来を見る時は「アドラーの目的論」でいいと思うんだよ。

なんだか上手くまとまってないね…(´・ω・`)