先入観と固定観念の弊害をアドラーに基づいて考え直してみる

2019年3月14日

アドラーの心理学を勉強中なんだけど、アドラーに基づいて「先入観」と「固定観念」の弊害について考え直してみるよ。アドラーの心理学では「ベーシック・ミステイクス」って言っているみたいだね。ただ、僕が言っている「先入観」「固定観念」は外向きだけど、ベーシック・ミステイクスは内向きの心理的行動も含めて言っているみたいだよ。確かに内向きに「先入観」や「固定観念」を持っちゃったら、自らを殻に閉じこもっちゃって前に進めなくなっちゃうんだよ。そういう意味では、ベーシック・ミステイクスって名前も(偉そうに言っちゃうけど)良くできた名前だと思うんだ。

今回はアドラーの心理学を考慮したうえで、「先入観」と「固定観念」を考えてみようと思うんだよ。

アドラー心理学のベーシック・ミステイクス

アドラー心理学のベーシック・ミステイクスは以下の通り定義されているんだよ。

  • 決めつけ
  • 誇張
  • 見落とし
  • 過度の一般化
  • 謝った価値観

ざっと見ただけでも、やめたほうが良いことって伝わってくるよね。でも、なかなか習慣化されていて直らないこともあるんだよ。でも、少し意識していれば徐々に直ると思うんだ。それは良いとして、なぜこれらを直感的にやめたほうが良いことって気づけたのかな?多分それはこの5つのミステイクの共通点に何となく気がつけたからだと思うんだよ。

劣等感

共通点の話をする前に、劣等感の話をしておきたいんだよ。アドラーは劣等感を「その人が主観的に「自分は劣っている」と感じること」と定義しているんだ。一般的に劣等感というと「他社より自分が劣っている事」って意味になるけど、アドラーは「理想の自分より今の自分が劣っている事」も劣等感だって言ってるんだよ。劣等感というと悪いイメージがあるけど、捉え方によってはそうでも無いんだよ。この劣等感をポジティブに捉えると、自らを成長させる活力になると思うんだけど…ネガティブになってしまうとおかしくなり始めてしまうんだよ。

劣等感をネガティブに捉え始めると、それは自分に対する不安につながっていってしまうと思うんだよ。「なんで自分はxxxなんだろう…」とか「どうしてxxxが出来ないんだろう」って思い始めて、他者の言葉とこの思いを勝手にリンクし始めるんだよ。勝手にリンクしちゃうんだから、きっと自分のことをダメな人と思いたいと無意識に思ってるのかもしれないね。こうしたネガティブな意識のリンクはやがて、妄想になっていくんだと思うんだよね。「みんなxxxと思っているに違いない」みたいな感じになっちゃうんだよ。一般的にこれを「被害妄想」って言ってるよね。

劣等感とベーシック・ミステイクス

やっと、ベーシック・ミスティクスの話しに戻れそうだよ(笑)前出の通り「みんなxxxと思っているに違いない」と言う思いは、自分が勝手に作り上げた妄想なんだよ。事実はどこにも見当たらないんだ。あったとしても、それは些細な小さい事だと思うんだよ。つまり、一部の現実を見て、妄想を広げちゃってる状態になっちゃうんだよ。ここで、改めてベーシック・ミステイクスを見直してみたいんだよ。「決めつけ」「誇張」「見落とし」「過度の一般化」「謝った価値観」それぞれ根本にあるものは、一部を知って妄想を膨らませた結果だと思うんだよ。前出ではネガティブな思考について説明したけど、ポジティブな思考についても妄想を膨らませると「独りよがり」や「天狗になる」って状態になりかねないことを考えると、同じことが言えると思うんだよ。

アドラーが提唱しているベーシック・ミステイクスについて、色々なホームページを見ると「修正すべき」って表現しているけど、修正って言われても何すれば良いのか分からないこともあると思うんだよ。僕が思うにベーシック・ミステイクスを修正するのに必要な能力?は「妄想せず現実を見る」ことだと思うんだよ。