あなたは何をしたいのか?(目標による管理)
最近は「目標による管理」ってしなくなってきているのかな?「目標管理」とも呼ばれていると思うのだけど…。僕は入社以来ずっと目標管理を徹底されてきたんだよ。僕の場合だけど…アドラーを勉強した結果、自分で設定する目標が変わってきたんだよ。会社で目標管理をしていない人は…自分で目標管理をしてみるといいかもしれないんだよ。
Wikipediaによる「目標による管理」
Wikipediaに「目標による管理」ってページが存在しているんだよ。
これによると「個々の担当者に自らの業務目標を設定、申告させ、その進捗や実行を各人が自ら主体的に管理する手法」って定義されていて、あの「マネージメント」で有名な「ピーター・ドラッカー」が提唱したって書かれているんだよ。(どこかの本に「ドラッカーもアドラーに影響を受けたと考えられる」って書いてあったような…)でも、日本では昭和40年代に流行ったけど定着しなかったって書かれているんだよ。その理由が以下のモノみたいなんだ。
- 業績を上げることに目標が置かれるあまり、具体的な数値目標として、「売上」の極大化と誤解された。(売上至上主義)
- 自主性を過大評価し、実施途中における組織の関与や行動プロセスが制度的に組み込まれなかった。
- 「目標」に対する「成果」を重視するあまり、成果に対する報酬という金銭的インセンティブだけではなく、人は「情」によって動くものという「人間尊重」の考え方が欠落していた。それは本来、MBOが狙ったものと裏腹のものであった。
まぁ当時の日本の武士道精神に則った仕事の仕方では、上記のように捉えられても仕方なかったのかもしれないね。日本の場合は良いとして、アドラーは目標を設定することは健全であると言ってるみたいなんだよ。
アドラーによる目標
目標って一体何なのだろう?仕事で目標を立てることが多いと思うけど、仕事以外でも目標を立てることはあると思うんだよ。小さな目標に至っては、無意識で立てている場合もあると思うんだよ。たとえば、「仕事で今日は早く帰ろうと思う」「ドラマを見ていてイイトコなのでトイレを我慢する(笑)」ある意味目標といえると思うんだよ。なんで人は目標を立てるのかな?それは、目的を考えると分かってくると思うんだよ。
仕事で目標といえば「xxxを達成する」って言うのが定番だと思うんだよ。例えば僕が所属している組織なら「社員にアドラーの心理学を認知させる」って感じかな?そして目的は「従業員満足度を向上する」って事になるんだよ。「アドラーの心理学を認知させる」のは「従業員満足度を向上する」ひとつの手段であることが分かるかな?つまり、目標は目的を達成するための過程と言えると思うんだよね。
アドラーは人の行動には必ず目的があるって言ってるんだよ。まぁ、無意識に行動を起こすにしても、何かしらの目的が有るのは納得が行く話だよね。ってことは、人の行動には必ず目標があるって言ってもいいと思うんだよ。目的も捉え用によっては目標と言い換えることもできると思うんだよ。だって、生物の存在目的を軸に考えちゃったら、人間の考える目的なんて目標にしか過ぎないと思うんだよ(笑)
自分は何をやりたいのか?
ここで、話を「目標による評価」に戻したいと思うんだよ。目標を設定するときに、何を考えてるかな?たとえば、僕はその昔「クローン病でもSEが出来る、希望的存在でになりたい」って言っていたんだよ。これは、目的でもあったし目標でも合ったんだよ。でも、結果それは間違いだったって後で気がついたんだ。何が間違いかというと、「クローン病と戦っている」「承認欲求になっている」って所が間違いだったって思ってるんだよ。
目標を設定するときに上司から「どんなふうになりたいの?」ってよく言われていたんだよ。それが職場では当たり前だったから、そう言うふうに考えてたんだね。アドラーは「全ては対人関係の悩み」って説いているんだよ。「どんなふうになりたい?」と聞かれて、対人関係を排除した目標って思いつくかな?対人関係を排除すると自然と、「自分は何をやりたいのか?」って問いかけになっていくと思うんだ。
目標や目的を決めるときは「自分は何をやりたいのか?」って問いかけをして欲しいんだ。でも、仕事だからなんでもいいわけではないよ。会社のためにならない事をしたら、会社にとって不必要な存在になってしまうからね。少しでもいいので、会社のためになるような「自分がやりたいこと」を見つけて欲しいんだよ。
「自分が何をやりたいのか?」を考えさせる
今度は目標を立てさせる側になって考えてみるよ。って言っても、僕は立てさせる側の人じゃないから、僕だったらこうするなぁって感じのことしか書けないんだよ。もちろん、目標設定の時は「自分が何をしたいのか?」をとことん追求するんだけど…。日常的に出来ることがあるんだよ。それは、「褒めない」「叱らない」という事。アドラーの定番だね(笑)
本や他のホームページに書いてあるとおりなんだけど、褒めたり叱ったりすると、ひとは褒められたいから叱られたくないから行動するようになるんだよ。これはまさに、承認欲求なんだよね。これを離脱したいわけで…。よく「感謝を伝える」ってよく読むけど、僕的にはこれも中途半端だと思うんだよ。
多分だけど、1次感情を伝えることが目的指向へ向かわせる事につながるんだと思うんだよ。
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