「新世紀エヴァンゲリオン」のコミック版を読んだんだ

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div class=”pcnone”>最近、仕事が忙しくって、記事を書いている暇がないんだよ。記事を書いている暇が無いような仕事って何かって言うと…プログラミングなんだ…。投稿が減ったのは飽きたからじゃないんだよ。このブログを楽しみにしてくれている人はごめんなさい…。

本題に戻って、最近新世紀エヴァンゲリオン(以下、エヴァ)のコミックの最終巻が発売されたんだよね。なので、1巻から読み直して昨日ようやく最終巻を購入したんだよ。以後、かなりネタバレが含まれると思うので、改ページするんだよ。

(ネタバレが嫌な人はココで戻ってね)

アドラー心理学を勉強してから始めてエヴァを読み直したんだけど、色々とあった疑問点が全て線でつながった感じを受けたんだ。

碇シンジの場合

碇シンジは過去に碇ユイ(母親)に消失されて碇ゲンドウ(父親)に捨てられた過去があるんだよね。で、おばさんに預けられたのだけど、そこで自己主張(自転車を盗む)をするのだけど、おばさんからの加護により「良い子になるから…」って殻に閉じこもるんだ。碇シンジは自分の居場所が無いことを全て他者(特に父親)の責任にして、課題(人間関係)から逃げ回るんだ。
これってまさに、トラウマにとらわれている状態なんだよね。人間関係を構築できないのは父親に捨てられた経験がトラウマになっているからだって、目の前の課題から逃避して課題の解決に取り組まない人の象徴なんだって感じたんだ。ストーリーの中で綾波レイと交流を図ることで少しずつ心を開いていって、最後の最後に自ら踏み出す一歩が大切って気が付くんだよ。

惣流アスカラングレーの場合

惣流アスカラングレーは過去に実の母親の期待に応えるべく、エヴァのパイロットを目指しているんだよ。でも、その母親が精神崩壊を起こして、人形の事をアスカと思うようになってしまうんだ。これによって、アスカはもっと頑張れば母親が自分を見てくれると思って、体を張って必死になるんだ。そこで、碇シンジが登場して活躍の場を奪われちゃうんだよ。さらに、必死になるアスカは、使途の攻撃により心神喪失状態になってしまうんだ。
アスカを見ていると、苦しいくらい承認欲求に塊に見えるんだよ。自分は特別な存在なんだって思う事で自我を保っているのと、周りの人たちは自分を認めて当然であるって思い込みで、自分で自分を追い込んでいるんだ。ストーリーの中では、エヴァ弐号機に母親がいるって気が付いて、自我を取り戻すのだけど…何故これで、承認欲求を振り切れたのかは少し疑問かな…。ただ、急に目的行動になっているしシンジを仲間だと認識しているところが見受けられるので、承認欲求を離脱できたと感じるところもあるんだ。

綾波レイの場合(碇ゲンドウの場合?)

綾波レイの出生は不詳なんだけど…人造人間であることは間違いない感じなんだよ。しかも、その元になっているのはエヴァ初号機っぽいんだ。つまり、碇ユイが混ざっている感じって事なんだよ。背景として碇ゲンドウが碇ユイの復活を願って、綾波レイを創り出した感じなんだ。だから、碇ゲンドウは綾波レイにゾッコンなんだよ。当初は、綾波レイは碇ゲンドウだけを信頼している感じなんだけど、碇シンジと接することによって徐々に碇シンジに傾いて行くんだ。
碇ゲンドウは綾波レイ(碇ユイ)に居場所を求めているんだ。だから、碇ユイに子供(碇シンジ)が生まれた時には邪魔者としか感じなかったんだと思うんだ。この状況において、碇ゲンドウは碇ユイ(綾波レイ)に依存している関係と言えると思うんだ。綾波レイは零号機のパイロットとして、碇ゲンドウの必要不可欠な存在として描かれているんだと感じたんだ。でも、綾波レイは碇ユイの母性本能に従って、碇シンジに愛を感じる様になって碇ゲンドウから離れていってしまうんだよ。そういう意味で、初号機が碇シンジしか受け入れなくなったのも、母性本能と言えるんじゃないかな?
最後に碇ゲンドウは碇ユイから真実を聞かされて、どう感じたのかな…?最後に、碇ゲンドウのATフィールドが無くならないところを見ると、碇ゲンドウは依存から卒業できたとは思えないんだ…(別のシーンで絶命していると思われる人のATフィールドが無くなっているので…)

葛城ミサトの場合

葛城ミサトはセカンドインパクトで、父親に命を救われているんだ。父親が率いていた葛城調査隊はセカンドインパクトで全滅しているんだよ。それがもとで葛城ミサトは使途に対して復讐心を持って撃退して行くんだ。
葛城ミサトを見ている限り、本音と建前を自分の性格にまで影響させちゃっている人格障害に見えるんだ(笑)本当は根暗でつらい過去が影を落としているのに、それを払拭するように無駄に明るい性格を創り出しちゃっているんだよね。ただ、使途と対峙するときは本当の性格に復讐心が宿って、徹底抗戦するんだ。結構無茶な作戦を立てちゃうのも、自分の目的を果たすためにエヴァを道具としか思っていないフシが見え隠れしているんだよ。でも、エヴァの無敵さは信用しているみたいなんだよね。
最初こそ葛城ミサトは自分の価値観を碇シンジに押し付け続けるんだけど、最後にはミサトの価値観が他者の価値観と同一ではない事に気が付いて、碇シンジに自分が未来を作るんだと言って聞かせるんだよ。

赤木リツコの場合

赤木リツコはスーパーコンピューターMAGIの開発者である赤木ナオコの娘なんだ。赤木ナオコは碇ゲンドウに恋愛感情を持ってしまうんだけど、碇ゲンドウが綾波レイにゾッコンなのを見て憎たらしく思っているんだ。そこで、幼少時の綾波レイに碇ゲンドウが赤木ナオコとのことを「バーさん」と呼んでいることを聞かされ、綾波レイ(1体目)の首を絞めて殺してしまうんだ。その直後にMAGIの上に飛び降り自殺してしまうんだよ。その一部始終を若かりし頃の赤木リツコは見てしまうんだ。(もちろん、綾波レイが赤木ナオコに何を言ったかは知らない設定)
当の赤木リツコは母親と同じく碇ゲンドウに恋愛感情を抱いてしまうんだ。と言うか、自分の居場所を碇ゲンドウに求めたと言った方が適切なのかもしれないね。赤木リツコは自分の方に振り向かせるために、自分の方を向かざるを得ない様に仕組んでいくんだ。綾波レイの入れ物を崩壊させたシーンは、まさにそれを表していると思うんだよ。
こんな赤木リツコに感じることは…ストーカーの心理なんだ。自分を愛さないあなたが間違っているって価値観を、碇ゲンドウに押し付けるんだよ。綾波レイが人形であることを知っているから、余計にそうなっちゃったんだろうね。最後に赤木リツコは碇ゲンドウに銃で撃たれるんだけど、死にかけの状態で碇ゲンドウを銃で撃ってしまう所なんかは、碇ゲンドウが自分以外を愛することを許さない嫉妬のようなものを感じるんだ。まさに、ストーカー(笑)

テレビ版の最後

「父に、ありがとう…母に、さようなら…そして、全ての子供達(チルドレン)におめでとう」ってセリフがあるんだよ。碇シンジに対してって意味も含まれていると思うんだけど…。感謝、自立、卒業って意味が込められているんじゃないかなって思ったんだよね。この新世紀エヴァンゲリオンを見て、「貢献感を持てるように…自立できるように…自らの殻を破って卒業できたでしょう?」って庵野秀明監督のメッセージが込められているんだと感じたんだ。

そして「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」へ…

最近順次公開されている「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」の序・破・Qだけど…おそらくテレビ版や旧劇場版(新世紀エヴァンゲリオン劇場版)を見た人は、おおいに混乱していると思うんだ。僕もその一人だったんだよ。マリって新キャラクター出てきちゃうし…Qなんて元のストーリーはどっかに行っちゃってるし…。なんでこれが「リメイク」なんだって、疑問に思ってたんだ…。でも…、コミックを読み終えて、僕の疑問はほぼ全て払拭できたんだよ。同じ悩みを持たれている方は、ぜひコミックを読破してほしいんだ。