第三回 会社を変えたい…だったら社員を変える

前回は「社員に満足度を上げてもらう」って話をしたんだ。でも、最後に一言書いたように、各社員が単純な満足を得るために奔走し始めたら、給料泥棒が増えかねないんだよ。だって、仕事しないでお金をもらえたら、それこそ人生を謳歌できそうだからね。それじゃ、会社は経営できなくなってしまうので、社員たちにベースとなる考え方を伝える必要があるんだよ。

満足を得るために

改めて人は何に対して満足を得られるのか考えてみたいんだよ。人は満足を得られるために何をするのかな?例えば僕の目の前の事を考えた場合、Kindle Paperwhiteで本を読んでいるんだけどKindle Voyageも良いなぁって買ってみたり、今自宅のトイレにウォシュレットが付いていないので購入してみたり(クローン病的に切実だったり…)すると満足が得られるかもしれないんだ。この二つを良く見てみると、前者は現状のままでも良いのだけどより良くして満足を得ていて、後者は悪い状況を改善して満足を得ているって読み取ることが出来るんだ。起点(現状・悪い状況)に違いは有れど、「より良くすることによって満足を得る」ってところは同じなんだよね。

でも、良く考えてほしいんだよ…現状をより良くすることばかりを追いかけていて、悪い状況を棚上げしてしまったら…本当の意味で満足出来るのかな?極端な例だけどクリスマス・キャロルの様にお金に満足を追い求めて家族や友人を無くしてしまっている状態は、不満足としか言えないと思うんだよ。ってことは、前出の「より良くすることによって満足を得る」って言葉の本質は、「現状をより良くするために底上げをする」って意味なんだ。

不満の本質って何?

じゃ、それを仕事をしている場面に当てはめてみたいんだ。そもそも、「仕事をしなければならない」って状態が不満かもしれないよね。だって、「仕事をしなければならない」って事は「仕事をさせられている」状態って事だからね。だからって「仕事を辞める」って選択肢は、よっぽどの資産家でない限り無いと思うんだよ。ほとんどの大人たちは「働かざるを得ない」状況にあるんだよね。「仕事をしなければならない」って課題を回避できない状態で満足を得るためには、「仕事に対する取り組み方を変える」しか満足を得る方法が無いって言えるんだと思うんだ。じゃどのように「仕事に対する取り組み方を変える」かって言うと、不満に対する姿勢を変えてみるんだよ。

仕事をさせられている以上、仕事に関する不満て尽きないと思うんだよ。その不満を少し振り返ってみてほしいんだ。例えば「上司が怒鳴る」「部下が言うことを聞かない」「お客さんが我がまま」「作業環境が劣悪」「死ぬほど残業が多い」…言い始めたらきりがないと思うんだ。こんな不満を良く見てみると、実は不満って言うのは全て人間が絡んでいることに気が付けると思うんだよ。初めの3つは分かりやすいと思うのだけど…「作業環境が劣悪」って言うのは作業環境を創り出している人が管理していないって考える事が出来るし、「死ぬほど残業が多い」って言うのは自分の場合と仕事を振ってくる人の場合って考える事が出来ると思うんだ。「勤務先が遠くなった」って不満ですら、遠くに住んでしまっている自分と捉えることもできるし、勤務先を遠くしてしまった上司ともいえると思うんだよ。そういう意味では、「不満は全て人間系である」って言いきれると思うんだよ。

不満はなぜ起きる?

今度は不満を抱えている自分を想像してみてほしいんだ。不満を口にするのって何故か不満を持っている相手以外の人にするんだよね。そりゃ相手に悪く思われて余計に面倒なことになったら最悪だからね…だから関係のない他者に不満を吐露するんだ。「そりゃそうだよ!仕方ないんだ!」って声が聞こえそうだけど、でも他者に吐露している限りこの不満は解消できないって事に気が付いてほしいんだよ。言い方を変えると、他者にしか不満を吐露しないって事は、不満を許容しているって言われても仕方ない状態なんだよ。不満に関係している人に不満をぶつけない限り、不満は取り除くことが出来ないんだ。

「不満をぶつけることが出来ない」のはどうしてなのかな?「不満を本人にぶつけると面倒くさい」って事が一番最初に思いつくけど、不満と言う課題を放置している方がずっと面倒くさいはずだよね?だって、不満をぶつければ白黒はっきりするのに、曖昧にしているから不満が消えないんだよ。じゃ「不満をぶつけることが出来ない本質」って何なのかな?たぶんほとんどの人が「保身」を気にしていると思うんだ。これは、仕事をしている以上仕方のないことだと思うのだけど…もし…自分の言おうとしている事こそが正しかったらどうなんだろう?

そもそも不満と言うモノは「自分が思っていることが正しい」って前提があると思うんだ。その正しさが「会社のため」だったり「世の中のため」であるなら、自信を持って不満を持っている相手に伝えるべきだと思うんだよ。そして、議論をしたら良いと思うんだ。異なる意見のぶつけ合いは、より良い考え方を創造する手軽で簡単な手段だと思うんだよ。これができている組織こそが「フラットな関係」って言えると思うんだ。ただ…一つ気を付けなきゃいけない事があるんだよ。それは「役割をフラットにすることは、フラットな関係ではない」って事なんだ。ここで言う「役割」って言うのは、例えば「役職」だったり「立場」だったりの事だよ。「責任の所在」とか「チームの役割」をフラットにしてしまうと…「丸投げな関係」になってしまうんだ。「丸投げの関係」は「責任放棄」や「責任転嫁」に他ならないんだよ。でも、この話が理解できたらそれはそれで不満が出てきちゃうんだ…。

不満の対処が不満を呼ぶ

こんなことを続けていると、「なんで自分だけ」って思う事が多く出てくると思うんだ。まるで悪役を買って出ている様な感覚に陥るんだよ。これじゃまるで不満の悪循環に成っちゃってるよね。それじゃってコトで「なんで自分だけ」って思っちゃうのか考えてみたいんだ。これまでの話で、自分がやっていることは「会社のため」だったり「世の中のため」を思って行動を起こしているはずだよね。もしこれがちゃんとできていたら、「なんで自分だけ」って思えないはずなんだよ。この感情の本質のヒントは「悪役を買って出ている様な感覚」にあるんだ。

演劇やゲーム・アニメにおいて悪役は主人公が居るから成り立つんだよね。アンパンマンを引き立てるためにバイキンマンが居るし、ドラえもんを引き立てるためにジャイアンが居るんだよ。(もちろんバイキンマンやジャイアンは100%の悪党ではないよ(笑))じゃ、「悪役を買って出ている様な感覚」の主人公は誰なんだろう???よく、周りを眺めてほしいんだ…。周りに沢山の主人公が居たりするんじゃないかな?

不満からの脱却

良く考えると「悪役は主人公を引き立てるために存在している」んだよね。この「悪役」って感覚から脱却しないと、いつまでたっても主人公を引き立てるための悪役であり続けなければならなくなっちゃうんだ。じゃぁさらに掘り下げて、なんで無意識のうちに「主人公を引き立てて」いるのかな?言い方を変えてみると…主人公を引き立てて何を得ようとしているのかな?「会社のため」だったり「世の中のため」だったら、主人公を引き立てる必要は無いはずだよね?

主人公を作っているって事は、悪役を作っているって事だよね。実はこれって、「自分が悪役になることで、自分の存在価値を見出そうとしている」って事なんだよ。存在価値の主張には「良い子」パターンと「悪い子」パターンがあるんだよ。「良い子」パターンは俗に言うイエスマン・八方美人ってやつで、「悪い子」パターンと言うのは「不良」とか「ヤンキー」ってやつなんだ。(笑)「良い子」でも「悪い子」でも存在価値を認めさせようとしている事には違いなくて、存在価値を認めさせようとすることから脱却しようとしなければ、いつまでたっても不満からは脱却できないんだ。

大きい視点を持ってみる

さらに、考えを進めると…自分がやっていることは「会社のため」だったり「世の中のため」だったはずだから、「悪役」であるのは狭い世界の事…つまり「たった自分の身の回りだけ」の感覚なんだ。自分の身の回りだけを見てしまうと、自分だけ悪役の感覚に陥ってしまいがちなんだよ。「会社のため」だったり「世の中のため」にやっている事であれば、自分の身の回りの事ってすごく小さなことでしかないはずなんだ。

前出に長文で書いた内容を、社員に浸透させることが「従業員満足度向上」って事になるんだ。でも、社員全員に浸透させようとしてもなかなか難しいんだ。この考え方が全て正しいと思う人たちだけの集団を作ってしまったら、それは新興宗教でしかないんだよ。政治の世界に与党と野党があるように、マジョリティの考え方に対して、「否」と唱える人がいるからこそより良いモノが出来上がっていくんだ。

アドラーの心理学

僕が個人的に思うに従業員満足の基本になる考え方って「アドラーの心理学」だと思っているんだよ。前出の文章とアドラーの考え方をマッチングさせると以下の様になるんだ。

  • 「不満は全て人間系である」
     →「すべての悩みは人間関係の悩みである」
  • 「自信を持って不満を持っている相手に伝えるべき」
     →「課題に向き合う」
  • 「「丸投げの関係」は「責任放棄」や「責任転嫁」」
     →「責任転嫁を許さない」
  • 「「なんで自分だけ」って思う事が多く出てくる」
     →「ベーシック・ミステイクス」
  • 「「会社のため」だったり「世の中のため」を思って行動を起す」
     →「共同体感覚」
  • 「存在価値を認めさせようとしている事の脱却」
     →「承認欲求の否定」

アドラーの心理学は「ピーター・F・ドラッカーのマネジメント」や「スティーブン・R・コヴィーの7つの習慣」「コーチング」「ホスピタリティ」のベースになっている考え方と言われているんだ。マネジメントは企業に、7つの習慣とホスピタリティは個人に、コーチングは相手にアドラー心理学を当てはめたと解釈できるんだ。そういう意味では従業員満足度向上を進めるために必要なテクニックはコーチングって言っても過言じゃないのかもしれないね。

これまでの3回を通して従業員満足度の考え方を説明してきたけど、次回からは具体的な手法の説明をしてきたいと思うんだよ。