「自慢話」「他者の卑下」「空回り」の共通点
以前、承認欲求の人の特徴って記事を上げたのだけど、それをアドラー心理学に当てはめてかつ視点を変えて考え直してみるんだよ。自分の周りの人を見まわしてみて、こんな人はいないかな?
- 自慢話ばかりする人
- 他者を卑下してばかりいる人
- 一生懸命なんだけど空回りしている人
周りの人だけではなくって、自分が当てはまっちゃったり、人から言われたり…。そういうのも全部含めて、なんでこういう行動に出てしまうのか少し考えてみるよ。
自慢話をする
実は僕も少しこの気がある人なんで、他者を非難できる立場ではないんだよ。初めて対面した人には自慢はしないでおこうと思うのだけど、他者が自慢するとその自慢の上乗せをしてしまう自分が居るんだよ。いつも、してしまってから後悔してショボンってなっちゃんだ。なんで自分がこんなことをしてしまうのか客観的に見てみると、自分は自慢をすることで自分を大きく見せて他者の上に立とうとしている行為だって気が付けるんだ。(それでも、なかなか治らないんだけど…)
じゃ、なんで自分を大きく見せる必要があるんだろう…。自分を大きく見せないといられないその感情は、自分が他者より小さい存在であることを無意識に感じているからだと思うんだよ。この感情ってまさに劣等感だと思うんだよ。自分が無意識に感じている劣等感をあんちょくに克服する方法として、無意識に自慢話をすることを選択してしまっていたんだよ。
他者を卑下する
僕はあまりやらないんだけど、他者を頻繁に卑下するする人も居ると思うんだよ。そういう人も「自慢話をする」人と同じ心境にあると思うんだよ。つまり「自慢話をする」人と同じく、自分が無意識に感じている劣等感をあんちょくに克服する方法として、無意識に他者を卑下することを選択していると思うんだ。ちょっと「自慢話をする」人と違うのは他者を卑下することによって、自分より他者を小さく見せようとする行為って事だけだと思うんだよ。
一生懸命空回りする
一生懸命頑張ってるんだけど空回りする人って言うのも周りにいると思うんだよね。言いたいことはもうわかっていると思うのだけど、これは劣等感を克服する方法として「頑張る」って事を選択した人たちだと思うんだよ。もちろん、劣等感を克服しようとして頑張っているので一概に非難するつもりはないんだ。ただ気になるのは、「本当に劣等感を克服するための頑張りになっているか?」って事なんだよ。
いくら頑張っても、劣等感を感じているところを克服するのと、劣等感を感じているので優越感を感じられる部分で頑張るのとでは少し違うと思うんだ。優越感を感じられる(得意分野)で頑張って劣等感を克服することは、劣等感を棚上げしている事だと思うんだよ。
劣等感を直視する
アドラーは劣等感に関して「劣等コンプレックス」と「優越コンプレックス」って定義をしているんだよ。それぞれを一言で簡単に説明すると以下の様になるんだ。
- 劣等コンプレックス – 劣等感を直視せず、逃げ回ってばかりいる事
- 優越コンプレックス – 「劣等コンプレックス」を否定して「自分は優れている」と考える事
どちらにしても劣等感を直視しなかったために持ってしまったコンプレックスって考える事ができると思うんだよ。アドラーは劣等感を忌避すべきものだとは言っていないんだよ。劣等感はそれを克服することで成長につながるって考えられるからね。でも、劣等感を直視しないことは、いつまでも同じ劣等感に苛まれる事になるし、自身の成長につながらないと思うんだよ。(いつまでも同じ劣等感に苛まれる事って辛いと思うんだ)
僕的にすごく怖いと思うのはコンプレックスの行先って「自分がどんな劣等感を持っているのか理解できない」状態に行き着くことだと思うんだよ。こんな状態になってしまったら苦しくて仕方ないと思うんだよ。こんな状態になってしまう原因だけど、僕的に少し心当たりがあるんだよ。それはプライドが高いって事なんだ。プライドって簡単に言うと「自分の弱さを認めない」って事だと思うんだよ。もし、「自分がどんな劣等感を持っているのか理解できない」なんて状態になっている自覚ができたら、いったんプライドを捨ててしまう(自分の弱さを認める…つまり自分の弱さを公言する)のも一つの方法だと思うんだよ。
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